マンガの歴史:19世紀

スイスのロドルフ・テプフェールは、 19世紀前半の漫画史における重要人物である。コマ絵とその下に添えられた文から成るテプフェールによる一連の作品は、ヨーロッパとアメリカの様々な地域で出版された(ただし、この作品にはフキダシは用いられていない)。当時の著作権法の不在により海賊出版されたこれらの翻訳版は、両大陸で漫画という形式を持つ作品のための市場を整えた。

1845年に、テプフェールは著書『Essai de Physiognomonie(人相学エッセイ)』の中で、彼の考えを形式付けている。「絵物語を構築し、しばしば澱となって沈んでいる素材から可能性を余さず引き出してやるのに、名匠の業を身に付ける必要はない。絵物語の構築は、単に鉛筆画で軽佻浮薄なカリカチュアを描き出すことではない。また、単に世間の噂話を物語にすることでも、駄洒落を絵画化することでもない。あなたは実際にある種の演劇を発明し、企画に沿った形で部品を配置し、全体を満足な形に整えねばならない。ただジョークを書き綴ったり、対句を繰り返したりするだけでは駄目なのだ。それが優れたものであるにせよ、劣ったものであるにせよ、真面目なものであるにせよ、馬鹿げたものであるにせよ、狂ったものであるにせよ、正常なものであるにせよ、あなたは『本』を作るのである」

美術史家エルンスト・ゴンブリッチは、テプフェールを新たな絵画言語の発明者として認識している。これは読者自身の想像力によって補われる、省略された表現形式であった。

デイヴィド・カンズル(アメリカ)やティエリ・グルンステン(フランス)などの漫画史の研究者によれば、テプフェールは現代的な意味でのコマ漫画(コミック・ストリップ、バンド・デシネ)という表現形式を事実上発明した人として評価され、「コマ漫画の父」とも呼ばれている。

19世紀には、新聞紙上での風刺漫画が人気を博した。1841年、イギリスで風刺漫画雑誌『パンチ』が創刊された。1843年に、『パンチ』は当時フレスコ画の下絵(カートゥーン)展示会を行っていたイギリスの国会議事堂を揶揄して、誌上に掲載された風刺漫画を「カートゥーン(cartoon)」と名付けた。この用語は漫画を表す一般的な英語となり、現代でも使われている。同種の風刺漫画雑誌として、ヨーロッパ大陸ではドイツの『フリーゲンデ・ブレッター』やフランスの『シャリバリ』があり、アメリカ合衆国では『ジャッジ』と『パック』が人気を博していた。

1865年に、ドイツでヴィルヘルム・ブッシュによる『マックスとモーリッツ』が新聞紙上で発表された。この絵物語は漫画の重要な先駆作品であると考えられている。

この頃から中国では漫画の形式が整い始め、1927年には完成した。

1884年にイギリスで雑誌形式により出版された『アリー・スローパーの半休日』は、特定の主人公(アリー・スローパー)による最初の連載漫画として評価されている。1890年には、イギリスで更に二冊の漫画雑誌『コミック・カッツ』と『イラストレーテッド・チップス』が登場した。これらの漫画はアメリカでも新聞連載された。これらの作品により、定期刊行雑誌としてのブリティッシュ・コミックの伝統が確立された。

一般的な基準による、特定の登場人物が登場する最初の成功した連載漫画は、アメリカのリチャード・F・アウトコールトによる連載一コマ漫画『ホーガンズ・アレイ』(1895 年)か、ドイツ系アメリカ移民のルドルフ・ダークスによる連載コマ漫画『カッツェンジャマー・キッズ』(1897年)であった。『ホーガンズ・アレイ』の主人公であるイエロー・キッドの人気は連載された新聞の売り上げ拡大に貢献し、その他の連載漫画の誕生を促した。この漫画ブームは、大衆芸術としての漫画の始まりを示すものであった。

(Wikipedia より)


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